〇〇のかたちを探す#2 奥 誠之|テーマ:ものがたり
〇〇のかたちを探す#2 奥 誠之|テーマ:ものがたり
トーク、ディスカッション、チャット|[ものがたりのために、生活したいな。]
http://blanclass.com/japanese/archives/20160604/
作品の話をすることも、アート談義に花を咲かすことも、なんかしっくりこないここ最近。ほんの1、2年前までは友達と互いの作品の話をしたくてうずうずしてたような自分がなんでこうなったんだろう。このイベントでは「ものがたり」をテーマにその理由を探ろうと思います。
出演:奥 誠之/企画:野本直輝
場所:blanClass
日程:2016年6月4日(土)
開場:18:30 開演:19:30
ディスカッション「ものがたりについて」:20:30~
入場料:1,500円(ワンドリンクつき)
「日々の断片」 奥 誠之
こんばんは。
イベントに先立って、当日に僕が話すことの断片みたいなものを数回にわたってここに落としていこうと思います。
最近僕は「風通し」についてだけ、それだけを思考するようにしています。
凝り固まった自分の思考に風を通す。
アートというものを、誰でも自由に行き来できるように、扉を少し開けておく。
最近のぼくは、そういったことのために時間を費やしています。
これから数回に分けて、ぼくの日々の断片を見せます。
最初は分かりやすく、最近読んでいる本や、聴いている音楽、観ているテレビ番組を紹介していこうかと思います。
よろしくお願いいたします。
日々の断片 #1 2016年6月1日
日々の断片、1回目はテレビ番組の紹介をしたいと思います。
ここ数年はテレビドラマにはまっているので、紹介している番組の8/9はドラマです。
「ちゅらさん」の脚本家で知られる岡田惠和さんのここ数年の作品は「2つの世界の出会いと共生」がテーマになっていて、彼の作品群が最近のぼくの思考に大きく影響を与えています。
たとえば2013年放送の「泣くな、はらちゃん」の、マンガを描いているヒロインと、ひょんなことからそのマンガから現実世界に飛び出してきたキャラクターが出会って恋をする、という設定です。
また、NHKBSで現在放送中の「奇跡の人」はヘレン・ケラーの実話を現代日本を舞台に大胆にアレンジした作品で、1話で主人公のアラフォーのダメ男が、目と耳に障害を持つ女の子と出会って、その子にこの世界を教えたいと言い出します。
このように、二つの世界(現実の世界/マンガの世界、健常者の世界/視覚と聴覚のない世界)はどう共に生きていくのか?が作品の大きなテーマになっています。
この地球のどこかに線を引いて、"こちらの世界"と"あちらの世界"に分けてしまうのは、暴力的なことかもしれません。
それでもやっぱり、"わたし"と"あなた"の間には常に境界がある気がするから、それを認めた上で、分かりあいたいなと思うんです。
ぼくは毎週お茶の間で観ることのできるテレビドラマから日常的にヒントをもらっている気がします。
画像左上から
「Q10」
「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
「重版出来」
「トットてれび」
「世界ウルルン滞在記」
「泣くな、はらちゃん」
「奇跡の人」
「ゆとりですがなにか」
「あまちゃん」
日々の断片#2 2016年6月3日
日々の断片、2回目は最近読んでいる本についてです。
あいかわらずテレビドラマにこだわっているので、ユリイカのテレビドラマ特集や木皿泉さんの著作を読み漁っているのですが、それとは別に、旅とか風景に関連する本を読むことが多くなっています。
1年半ほど続けていたバイトを辞めて、GWに東北に行くことを決めていた4月頃から、いや、今年1月の武蔵野美術大学の修了制作にあった、震災で変わり果ててしまった場所が舞台の映像作品や、作者の故郷(秋田)を描いた絵画作品を観たころからかな。「まだ見ぬ場所」や、「失われた場所」について僕はどう思いを馳せることができるのか?ということを考えるようになりました。
こうした思考のなかで本を読んだり旅をしたりしたおかげで、自分が日頃いる場所から遠いところの、なにやら息づかいのようなもの。そういうものを感じることができているような気がします。
そんな気がしてくると(たとえそれが勘違いだとしても)、心は軽やかになったり、逆に慎ましい気持ちになったりします。これは自分の心を良い場所に持っていけてる証だと思います。
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ドラクロワ〜ゴーギャンまでの時代の画家たちをとりあげた岡谷公二さんの著書『絵画のなかの熱帯』は、当時のサロンやアカデミズムに違和感を感じた画家たちが、まだ見ぬ「南方」(それはゴッホにとっては日本だし、ゴーギャンにとってはマルティニーク島だった)に憧れを抱く姿を書いています。画家たちが書いた手紙が多く引用されているので、読んでいるとまだ美術界の周縁にいた若い画家たちの熱が伝わってきます。
彼らはその熱を保ったまま、本当に南方を訪れ、「まだ見ぬ地」「まだ見ぬ光」をキャンバスにぶつけていきました。それらの絵画がやがて既存の美術を揺るがすものにまでなりました。
しかし、ゴッホの「ひまわり」が58億円で落札されてから30年が経とうとしているここ日本では、相変わらず印象派の展覧会が人気を博しており、当時のメインストリームだったアカデミズムの画家の名前はほとんど聞く機会がありません。むしろそれは印象派の活躍を引き立たせるためのサイドストーリーのような扱いを受ければまだマシだという具合です。
当時のメインストリームが、今では誰からも語られないこと。ぼくはここにも「失われた場所」の気配を感じ取ってしまいます。
「ここ」も「そこ」も時間と記憶が重なり合って物語が生まれて、また時間と記憶を重ね合わせて添削、編集、更新がなされていって、またまたそれが...。
文章が長くなりすぎたので、本の紹介と感想はこの辺までにしておきます。
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最後に、
ぼくは本を買うとき店員さんに「ブックカバーをおつけしますか?」と聞かれたら必ず「いいえ、そのままで。」と応えます。
電車の中でも街の中でも、ぼくの息づかいを誰かが拾ってくれる、そういう可能性は残したままにしたいです。
画像
『物語のかたち』
『風景と記憶』
『絵画のなかの熱帯』
『ユリイカ ー テレビドラマの脚本家たち』
『それでも町は廻っている』
日々の断片#3 2016年6月4日
おはようございます。
日々の断片、3回目は最近聴いている音楽の紹介にしようと考えていたんですが、今日の開場から開演までの間に実際の曲を流すことにしました。
なので今回はちょっと趣きを変えて、4年ほど前にたまたま本屋で立ち読みした甲本ヒロトさんの文章で、ぼくの頭に未だに残っている言葉を紹介します。
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えっと、
月や星は輝いてないよね?星って輝いてないよね?
反射してるだけだよね。
ロックンロールの星たちも輝いているんじゃなくて反射しているんだ。
光っているのは太陽じゃないか。星が光っているんじゃなくて太陽が光ってる。
月が光っているんじゃなくて太陽が光っている。
ローリングストーンズが光っているんじゃなくてブルースが光ってる。
マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフが光ってるから
その光を受けたローリング・ストーンズが反射しているだけじゃないか。
それがわかるとき「ストーンズを光らせてるものはなんだ?」つて、それが聴きたくなる。
そしてルーツをどんどん追いかけていく。この聴き方ってまっとうだと思うんだよ。
だから、もし、これを読んでいるみんなが
今流行りの音楽でもいい、ヒップホップでもいいよ。
なんでもいいから「かっちょいい!」と思ったら
そいつらをカッコ良く見せているものは
そいつら自身が「カッコいい」って思った奴らだから
それを追っかけてみて欲しい
そう思う。
そんで、その輝きをあなたも受けています。
今誰かを「カッコいいな」と思っている人たちも
その輝きを今受けています。
だから反射させてみてください。
あなたはきっと輝く
自分が感動したっていうことは人を感動させる力を持ったという証拠だから。
勇気を持って楽しく生きて欲しい。
だから「楽しいな」と思ったらもう勝ちだよ。
だからどんどん反射させようぜ、輝きを。
(『ロックンロールが降りてきた日』より)
ロックンローラーの言葉を引用するのはずるいですよね…。本番はちゃんと自分の言葉で喋ります!
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最後に、今年の4月にアメリカのミネソタ州から世界中に反射していった「光」の画像を載せて終わりにします。
それでは今晩が本番、よろしくお願い致します。
奥 誠之
blanClass+column
こんにちは、blanClassの野本直輝です。
今週の土曜日、6月4日は、blanClassで2ヶ月に1回のペースで行っているシリーズ企画「〇〇のかたちを探す」の2回目です。
今回はゲストに奥 誠之さんをお迎えし、〇〇に入るテーマ、「ものがたり」について考えていきたいと思っています!
奥くんの活動は、たとえば奥くん自身の経験によってかたちづくられる、個人的な歴史のようなものと、学校教育などを通して、いつの間にか事実として了解されている「歴史」との間を、常に迷いながら、行ったり来たりするところから始まっていたりします。
奥くんから作品の話を聞いていると、途中で旅行の話になったり、女の子の話になったり、家族の話になったり、また作品の話に戻ってきていたりします。
それはちょうどテレビのチャンネルを奥くんにコロコロと変えられていくようで、ニュース番組とバラエティ番組とドキュメンタリー番組とを混ぜ合わせられながら、僕の中ではひとつの物語りをよむ手順を確かめてみたくなる、そんな感覚になります。
語られることがものがたりを立ち上げるのか、受け取ることでものがたりが引き出されるのか、その様なやりとりの間で生まれる、また別のものがたりの在り方があるのかどうか。
イベントとディスカッションを通して、「ものがたりのかたち」を探したいと思います!
(野本直輝)
奥 誠之 Masayuki OKU
1992年東京都生まれ。2014年、武蔵野美術大学造形学部油絵科を卒業。現在、東京藝術大学大学院美術研究科に在籍。個展に「南洋のライ」(art center ya-gins、前橋、2014)、また主なグループ展に「感性の法則」(MAKII MASARU FINE ARTS、東京、2016)などがある。
シリーズ 〇〇のかたちを探す(隔月で2年間を予定)
たとえば「ゆたかな生活」「しあわせな家族」「安定した職業」「充実した休日」のような、いつの間にか理想像になっている言葉やイメージに、私たち一人ひとりが本当に必要とするかたちは見つけられるでしょうか? 実際の経験では、それぞれがバラバラで、一言でまとめられたり、ひとつのイメージに回収されてしまうものではないはずです。このシリーズでは、毎回ゲストをお呼びし、「遊び」「家族」「労働」「健康」など、各回ごとに違ったテーマを設定して、作品発表とトークを行います。そのなかで、さまざまな概念に対する頑ななイメージについて問い直し、本当に必要なかたちがどの様なものなのか、参加者たちと共に探していきたいと思います。(野本直輝)
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